新堀 俊一郎さん 株式会社三友製作所
新堀 俊一郎さん
株式会社三友製作所設計開発部 部長 2000年入社
日本工業大学出身/茨城県立高萩工業高校卒業後、将来設計者として生きていくべく、領域を横断的に学べるカリキュラムを持った県外の大学へ進学。大学の就職課の紹介で茨城県の製造業の可能性を知り、迷うことなくUターンで就職を決めた。現在は16人の部下を持つ、設計開発部の部長。
高校生の頃から将来は機械の設計者として生きていきたいと考えていました。県外の大学へ進学しましたが、当時から7、8割の気持ちで地元茨城に戻るつもりでした。就活で大切にしたのは、製品を構成するすべての装置の開発・設計に自分が関わることができる企業かどうか。東京の大手企業の説明会などにも参加しましたが、開発から製造まですべて自分でできる会社は意外と少なく、一方で、茨城にはそういったことを任せてくれる企業が多いということを、就活の中で知っていきました。実際、大学の就職課から今の会社を紹介してもらうまでは、正直、ここまで茨城が製造業に強いとは実感としては持っておらず、本当に希望が叶ってよかったと思っています。
現在、三友製作所は、いわゆる大手企業の下請けではなく、自社製品の開発とそれらをメーカーなどに販売することで、ビジネスパートナーとしての信頼を高めています。私が入社した頃くらいからちょうど自社製品の開発が始まり、最初は県内でしか販売実績はありませんでしたが、今では海外との取引ができるまでに規模が拡大しています。例えば当社製品には、極めて微細な動きの要求に対応できる電子顕微鏡向けの小型位置決めステージ(観察試料に触る事ができる)などがあり、半導体メーカーなどでナノサイズの電子回路が組まれたチップの検品に活用いただくなど、日本や世界のものづくりの品質向上に貢献しています。現在は部下16名とともに、新たな開発に挑んでいます。
この仕事をしていてうれしいのは、一から構想した装置が製品化され世の中に出ていくことですね。お客様は北海道から九州、アメリカ、韓国、台湾にまで広がっており、遠方より感謝や激励のお言葉をいただくと感無量です。私たちが開発した製品の技術を用いて、自社の製品に付加価値を付けられるお客様もいらっしゃり、「三友さんと組んだことで新しいマーケットが拓けた」とのお言葉をいただくこともあります。私たちの武器はなんといっても高い技術力です。世界的に見ても珍しいことをやっているため、技術力を認められて大企業からのご相談も増えてきました。茨城から世界へ。それがまったく夢物語ではないことを最近さらに実感しています。
つくばには、それぞれがすぐに行ける距離に非常に多くの研究所や最先端の研究をしている大学があります。産学連携がしやすく、技術者にとって茨城は、「自分自身の成長」という意味でも非常に価値のある場所だと改めて思います。また、新技術や魅力ある技術を持った企業が規模を問わず非常に数多く集まっているため、自分が目指したい技術者になれる会社に出会える機会にもあふれているのではないでしょうか。かつては当社も新卒採用のエントリーは県内出身者がメインでしたが、今では県外の大学からもどんどん優秀な人材がアプローチしてくれて、多様な感性が次々に集まっています。舞台は世界です。もう、地場産業では終われませんよ。
会社の仲間と乾杯。大甕(おおみか)駅前にある和風居酒屋「我やが屋」が最近の行きつけ。日立港でとれた新鮮な刺身、超特大メガメンチかつ、なんでも旨い!
茨城県を動かす人たち
目の前の人の幸せを叶えるため、
いつだって真っ直ぐに。
不安があるからこそ、
積極的に自分から触れにいく。
すると、可能性が見えてくる。
やりたいことを実現できる場所として、
ふさわしい会社に出会うことができた。
家族のそばで過ごせること。
それも就職の大切なポイント。
「安定」と「やりがい」は、
公務員でなくても手に入る。
自分がやりたいことを探求し、
自分が納得いく仕事を選ぶ。
茨城の主力産業である
農業を支える誇り。
私が開発したカップ麺、
食べたことあるかも知れませんよ。
茨城県にこんな
カッコイイ会社があることに
とても驚きました。
仕事では海外への道を切り拓き、
休日は茨城の自然を楽しむ。
茨城県で頑張っている企業の
力になりたい。
こんなに海外の方と
接する機会が多いなんて。
目の前の人のために
一生懸命になる喜び。
創業から100年以上、
地域のことを考え続けています。
茨城の製造業は強い。
世界とも十分に渡りあえる。
仕事も子育ても
メリットの方が多い。
ここは“ちょうどいい郊外”。
世界に誇れる
仕事に関わる喜び。
農業はカッコいいもの。
さあ、次は何をやろう。