秋山 政明さん 一般社団法人Burano 理事
秋山 政明さん
一般社団法人Burano理事
サウスアラバマ大学 ビジネス学部卒業/茨城県古河市出身
大学卒業後、株式会社リクルート(現リクルートマーケティングパートナーズ)に就職。2015年に古河市の市議会議員選挙に出馬し2位当選を果たす。2016年に筋肉の病気がある第2子の誕生をきっかけに、「重度障がい児を預かる多機能デイサービス」と「母親の仕事支援」を掛け合わせた日本唯一の施設「Burano(ブラーノ)」を立ち上げる。
高校卒業後、アメリカの大学に進学したのですが、さまざまな国籍の学生と触れ合う中で、生まれた環境によって人生の選択肢の幅が大きく異なることを知り唖然としました。それ以来「生まれた環境に左右されず選択できる世の中にしたい!」という想いを持つようになり、途上国のインフラを整備する企業に就職したいと思うようになりました。その就職活動中、ある先輩から「途上国も大事だけど、目の前の苦しんでいる人は置き去りでいいの?」と言われ、ハッとして。まずは、近くにいる人の力になることを決め政治家を目指しました。とはいえ、すぐに政治家として活動していくには、まだまだ経験も自分のブランド力も不十分。そこで、自分の中で出馬するタイミングを「30歳」と定め、それまでは、短期で経験を積めそうで、尚且つ、革新的な体験ができそうな企業に就職することにしたのです。そして、24歳から30歳まで、出馬する直前までの6年間は、がむしゃらに働きました。
出馬する1年前、出馬の準備や選挙活動をするため住居を地元の古河市に移しました。地元の方が友人もいるし、様々な有権者に受け入れてもらえるだろうと希望を持って、古河市で活動をすることにしたのです。体力的にも精神的にもハードな選挙活動を乗り越え、妻や両親、親戚の支えと地元の方たちの温かい応援のおかげで、2位当選。2015年、こうして私は、古河市で市議会議員として働くことになりました。
市議会議員に当選した翌年の2016年春、第2子 晴(はる)が誕生しました。生まれつき筋肉の病気があった彼は呼吸がうまくできず、生まれてすぐに死と隣り合わせ。長い入院をして命は取りとめましたが、常に医療機器をつけて生活しなくてははらない「医療ケア児」になりました。
そんな息子がひとつのきっかけとなり、障がい児を持つ親御さんたちにヒアリングすると、重度障がい児の施設が全国的に足りていないことがわかりました。早速、施設を増やすことを市議会に提案してみましたが、残念ながら反応はいまいち。急を要するため「これは自分でやるしかない」と腹をくくって、2017年の春から施設を立ち上げるための準備を本格的にはじめました。
最初は、シンプルに「重度障がい児を預けることができる施設」を考えていました。でもそれだけではまだ不完全だということが見えてきたんです。それは家族のケアです。重度障がい児を持つ家族、特に母親は子どもにつきっきりになってしまうため、社会から孤立してしまうのです。だから、施設は母親にとっても意味のある場所にしたいと考え、アウトソーシングの仕事を受託し、子どもを預けながら、仕事をしたい母親たちが集まり一緒に仕事ができるシステムを加えることにしました。
企画から約1年。2018年4月、医療的ケア児や重症心身障がい児を預けることができるデイサービスに、母親が働けるコワーキングスペースを併設させた日本で唯一の複合施設「Burano(ブラーノ)」が誕生しました。現在は、児童発達支援管理責任者や看護師、保育士、理学療法士と共にこの施設を運営し、育てています。
「Burano」は、障がい児のためのデイサービスであり、母親が働くことができる場所。しかし、その目的とは別に、人と人との交流が生まれ、コミュニティの場としても育まれています。
ひとつは、母親のコミュニティ。障がい児を持つ母親と健常児の母親では、子育てに関するトピックが異なるので話が合いません。それは仕方のないことです。でも、仕事にまつわる共通項が生まれると、わからないところを聞き合うところからはじまり、少しずつ言葉を交わすようになり、次第にプライベートな話題にも広がって、今では楽しそうに働いています。この施設は、1Fは子どもたちがいる場所、2Fはコワーキングスペース。導線的に、仕事に来たお母さんたちは、必ず子どもたちの前を通ります。すると、次第に健常児の母親も、子どもたちと挨拶を交わしたり名前を覚えて声をかけたり。ここにも自然と交流が生まれているんです。また、ここには、通っている障がい児の兄弟姉妹もやってきて、宿題をしたり遊んだりしています。兄弟が障がいを持っている、という境遇にしかわからない葛藤や悩みって必ずあると思うので、そういうものを共有できる横の繋がりは、将来的にも支えになるのではないかと思います。
ここならではのコミュニティが生まれ、場として成長しているのを感じると、やっていてよかったと思います。まだ立ち上げから年も浅いですが、モデルケースとして注目していただいていたり、厚生労働省がレポートしてくださったりしています。政治では実現できていなかったことが「ブラーノ」を通じて叶えられていることは、予想外なところもありますが、とても嬉しいことです。
就職活動をしていると、就職すること自体を「目的」のように感じてしまうことがあるかもしれません。でも、本来は、就職や企業選びは「手段」なんだと思います。私も、ここに至るまでに通ってきた就職も、政治も、ブラーノの設立も、すべては人を幸せにしたいという「目的」を叶えるための「手段」なのです。「手段」は、あくまで「手段」。たとえひとつの手段がダメだったとしても、もっといい他の手段があるかもしれない、と軽やかに発想の転換をし、恐れずにどんどん変化していけばいいと思います。就職は「目的」じゃないから、すがらなくてもいいんですよ。
「ブラーノ」でもスタッフを募集していますが、看護師も保育士も、ここでしかできない経験をしてほしいと願っています。それは、例えば、施設を運営することであったり、人をマネジメントしていくことであったり。病院や保育園では管理職にならないと経験しないようなことも、どんどん積極的に経験して、自分のスキルにして欲しいと思っています。ここは、自分にしかできないことを持ちたいという人にはいい職場かもしれませんね。興味のある方はぜひご連絡ください!
ずばり教えて!
Uターンしてよかったこと、困ったこと。
よかったこと
困ったこと
茨城県を動かす人たち
目の前の人の幸せを叶えるため、
いつだって真っ直ぐに。
不安があるからこそ、
積極的に自分から触れにいく。
すると、可能性が見えてくる。
やりたいことを実現できる場所として、
ふさわしい会社に出会うことができた。
家族のそばで過ごせること。
それも就職の大切なポイント。
「安定」と「やりがい」は、
公務員でなくても手に入る。
自分がやりたいことを探求し、
自分が納得いく仕事を選ぶ。
茨城の主力産業である
農業を支える誇り。
私が開発したカップ麺、
食べたことあるかも知れませんよ。
茨城県にこんな
カッコイイ会社があることに
とても驚きました。
仕事では海外への道を切り拓き、
休日は茨城の自然を楽しむ。
茨城県で頑張っている企業の
力になりたい。
こんなに海外の方と
接する機会が多いなんて。
目の前の人のために
一生懸命になる喜び。
創業から100年以上、
地域のことを考え続けています。
茨城の製造業は強い。
世界とも十分に渡りあえる。
仕事も子育ても
メリットの方が多い。
ここは“ちょうどいい郊外”。
世界に誇れる
仕事に関わる喜び。
農業はカッコいいもの。
さあ、次は何をやろう。